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「それも描くうちなのか?」

まだ30代前半、子供たちは幼く、描く時間を見つけることが大変で、夜中から明け方まで描いたりして無茶をやっていた。当時、ある大先輩に対して、つい甘えが出たんだと思う。「両立が大変なんだ、、、」と、こぼしたことがある。その方が、思いやりを込めておっしゃった一言、「それも描くうちだよ。」が、私を変えることになった。

体調悪く、気力がないこと、アトリエが狭く、収納場所がないこと、絵にかかる費用が増えて、大変なこと、反抗期の子供の心が分からなくなってしまったこと、、、様々な苦しいことがある度に、私は自分に言い聞かせた、、、これも描くうち、と。

当時、私は分かっていなかった。「描くうち」の中には、「描く時間を作る」以外にも様々なことが含まれる、ということが、、、 他の仕事をしながら、心はいつも画面に向っていること──確かにそれも大事だが、画面に向った時から何かが始まり、それは頭で考えたこととは違うのも確かである。そして、いい展覧会を見たり、いい音楽を聞いたり、映画に行ったり、本を読んだりして、触発されたり、打ちのめされたりしながら、自分の原点を見つめ直して鍛えていく──それこそ立派な「描くうち」で、時間はいくらでも必要なのである。

「絵を描く」という仕事が大変なのは、結果として報酬が得られれば幸運だが、もともとお金とは切り離された仕事だからだ。なぜなら、それは「直接、目に見えないものの価値」を人に与えるものだから、、、

ところが日本の社会全体が「目に見えないもの」をどんなに冷遇してきたことだろう?大学の教養課程、基礎科学、哲学、文学、芸術、、、どれもすぐ役立つものではないが、人間とは?という根本的な問いに対して、実はとても大切なものが、どんどん痩せ細っていく。人々の心に「目に見えないもの」を感じとる経験が不足し、「夢を見る力」がなくなっていく。

年を重ねた人なら分かるだろう。「目に見えないもの」は、それぞれ個別に、苦労して、やっと得られたはずだ。しかし、「目に見えるもの」は、すぐに理解され、一度に多くの人の賛同を得られる。同じ情報、同じ思考、そして皆と同じであることに安心する。どんどん均質になっていく社会で、「目に見えないもの」はこれからどうなっていくのだろう?「目に見えるもの」しか受けつけない社会になってしまったら、、、

私自身は、賛同を得られても、得られなくても、とにかく描き続けていくだろう。しかし、これから描いて、生活していかなければならない若い人達のことを思うと、私が昔、言われた言葉、「それも描くうち」を投げかけるには、あまりにも苛酷な状況になっている。
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